オクト絵画教室の皆様へ 若林薫の思いを手紙にしてお届けいたします       2008年6 1

衣替えの季節になりました。皆様おかわりありませんか? 4月25日 今年2回目のスケッチ会を

真鶴半島に計画しました。

前日の雨雲もまだ少し残る朝でしたが、ウキウキ気分で出かけたら、みるみる雲も消え風も穏やかな

晴天となり絶好のスケッチ日和となりました


真鶴駅から半島までバスで行き、引率者の不案内の為 行き止まりの道に入ったりしながら 森林遊歩

道を楠や松の老木を眺めながら歩いて下ること30分程でしょうか 石ころだらけの海岸に着き、腰を

下ろし早速三つ石を描きました。

スケッチは、まず描こうとする風景に身体を真っすぐに向かい 水平線(目の高さ)を決めます。

次に樹木や建物の中心線をとります。その時、鉛筆の線は極力少なくし 線のリズム(強弱)を

つけると良いと思います。そして彩色ですが、透明水彩やアキーラを使用する場合は明るい方から暗い方

へと塗り重ねていく方法がよいでしょう。ここで気を付けなければいけない事は、一箇所づつ仕上げるの

ではなく まず明るく全体を一様に塗り 次に中間の暗部を全体に一様に塗るというように塗り重ねます。

全体を塗っているうちに乾いてきますので 絵具の色も濁りません。色は最低 明・中・暗の三段階を

付けると良いです。

何もない海の景色には目標がないのでなかなか絵になり難いのですが、三つ石はちょうど良いモチーフに

なりました。その名の如く三つの岩から出来ていて、その中の大きな2つの岩にはしめ縄が渡されています。

その昔、三つ石は「笠島」といって一つの島だったのですが、戦時中に戦艦や砲台の的となって今の形に

なったと言われています。


こんなきれいな澄んだ空に海に 大きな音と共に煙を出し 弾丸が飛んだのでしょうか。

半島には砲台跡が残されています。1853年のアメリカ東インド艦隊来航(ペリー来航)を始め、幕末、

ヨーロッパ列強の艦隊が日本近海に遊弋(ゆうよく)し、開港・通商を迫った。

こうした事態に対して、小田原藩が築いたのがこの砲台跡だそうです。日本国中 台場は1000を

数えるほどあるそうです。

その昔は 前に広がる大きな海も 鎖国をしていた日本に

とっては、異国の攻めを思うと恐怖に慄いていたのでしょう

か?  江戸時代から明治維新へと大きく国も変わり、明治、

大正、昭和、何度かの戦争も乗り越え、そして平成。

三つに割れてしまった笠島も、時代を見続けて、何もなかっ

たかのように静かな海の景色の一部となっています。

遠足の子供達も楽しそうにお弁当を広げていました。高い空

には悠然と大きな鳶が旋回し、穏やかな日和でした。

「わが立てる 真鶴崎が 二つにす 相模の海と 伊豆の

白波」と与謝野晶子の歌碑の前で 絵を見せ合ったことも

忘れない思い出となりました。

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